Live Life ペースメーカー

ペースメーカーとともにあった40年間をちょっと語ってみます。

健康に支障アリ

公立高校に入学した。
スムーズだったわけではない。
松葉杖をつきながら、難関校を受験した。
勉強ではなく、健康に支障アリ。

跳び箱の飛び比べをしていて、7段で思い切り足をついて、
十字靱帯(じんたい)を損傷、というか、断裂していた。
ミシミシと音を立てた左ひざ。

こんな経験があるので、靱帯を切るつらさ、痛さは、
芯から分かる。
スポーツ選手が復帰していくけれど、並大抵の精神じゃ無理。
心から無事を祈るばかりだ。

 

話を戻そう。

高校生になると遠距離通学となり、スポーツも本格化する。
なので、「スポーツ」というキーワードが私の人生に枠から外れた。

文字通りの受験に傾倒するのみだ。

そんななのに何を調子こいていたのか、
文化祭では、ブロックの応援団に入り、踊りやエールを送っていた。
高3の夏には応援団長となり、校庭を駆け抜けていた。

乾いた土埃が舞う校庭、音楽がかかるその中を走るけれど、
私は走れなかった。遅れてしまう・・・。
身体は、鉛のように重い。

体育祭の暑い夏が終わった。

そこでおかしいと気付くべきだったろう、
受験の大きな波に向かっていたこともあり、
ただ普通の高校生活に明け暮れていた。

 

大学受験を決めた私は、東京を目指し、
あまりに重過ぎる身体を抱えながら、机に向かっていた。
思えば息も絶え絶えだった。

 

なぜ気が付かなかったかといえば、家族の激しさゆえかもしれない。
私の家族は一人一人、
大きな荒波をやっとの思いで漕いでいたから。

 

2月、東京へ向けて、母が受験に付き添うことになり、
二人で東京行の飛行機に乗っていた。
人生を変える出来事に出会うことも知らずに。

 

 

麦の穂

青い麦の穂